むかしばなし 其の七 (終話)

其の七

 ただ、東の国には、こんな言い伝えが残っております。
 隣の小国より、お姫様がお輿入れになったその日に、南の大国が攻め入ってきたのでございます。東の国でもいずれは南が戦を仕掛けて来るであろうことは予測はしておりましたが、まさかめでたい婚儀の日に戦になろうとは、だれも知るよしもございません。姫様はなんとかご無事に東のお城に入ることはできましたが、戦とあっては婚儀は中止、婿の若様もこの事態とあってすぐに出陣されていきました。
 その若様も、その翌日の合戦で、それこそ姫様への土産代わり、一つ手柄を立てようと功を焦ったのでございましょう、わずかな隙を見計らって敵陣深く攻め込んではみたものの、すぐさま態勢立て直した敵の刀の錆となってしまわれたのでございます。
 南の国の兵力は圧倒的でございました。何より、南蛮渡来のたくさんの鉄砲を備えていたために、さしもの東の大国も防戦一方となってしまったのです。
 さて、姫様はといえば、若様を失った今となってはお輿入れの意味もなくなり、できることなら故郷のお国に戻りたいとは願うものの、そのお国も南に攻め入れられて落城寸前とのこと、故郷すら失おうとしていたのでございます。姫様はひどく落胆されて、いよいよ食事ものどを通らなくなり、日に日に身も心もやつれていったのでございます。
 南の国優勢の戦は、さすがに東もそれなりの大国、その死にものぐるいの抵抗もあって、なかなか決着はつかず、思いの外長引いてまいりました。それでも、兵力の差は歴然、いつしか東のお城は南の兵たちに囲まれてしまいました。
 そして、いよいよお城に火が放たれたのです。城内ではみな右往左往、混乱に混乱を重ね、最期の最期まで敵と戦おうぞと鼓舞する者もあれば、槍も刀も矢も捨てて城外へと逃げようとする者もあり、神仏に祈る者もあれば、絶望に肩を落とし何もせぬ者もあり、秩序も何もございませんでした。
 かの姫様は、もはやこれまで、半ば覚悟を決めておいででした。故郷から連れておいでの子犬と母上様からいただいた手まりを懐に抱き、まもなく火の手が迫るであろう奥の部屋で、ただじっと身動き一つせず最期の時を待っておりました。何もかもを失ったかわいそうな姫様、今は涙も涸れ果てたか、静かで悲しいお顔でございました。
 と、それまで姫様の腕の中で小刻みに震えていた子犬が、はっと何かに気づいたように身を起こし、姫様の腕をするりと抜け出して、部屋から逃げ出してしまったのです。
「ああ、お前も私を見捨ててしまうのですか。ついに私はすべてを失ってしまうのですね。いえ、いえいえ、あのような子犬だけでもこんな戦から抜け出して、生き長らえてくれたなら、それだけでも不幸中の幸いというものかもしれません。お行きなさい、行って私の分まで幸せに生きておくれ。」
 力なくそう言うと、姫様はその場にばたりと倒れてしまいました。
 姫様の手から抜け出した子犬は、それから一目散に城外を目指しました。ただ、その目は、恐怖に怯えて逃げ出そうというものではなく、何かの決意を秘めたような目をしておりました。走って走って走り抜いて、ついにお城の外に出た子犬は、ある者の前に立つと、激しく吠え始めたのです。
 その者、その者は、東の兵でもなく南の兵でもない、その背には隣の小国の紋の旗指を差しておりました。そう、姫様の故郷の足軽の一人でございました。ここまでの道中、その足軽の身に何があったかは、その腕に刺さった二本の矢、いくつかの刀傷、負ったばかりのような火傷を見れば一目瞭然、まさしく命がけでここまでたどり着いたのでございましょう。子犬は、この者のもとへ、この者を呼ぶために、ただひたすらに走っていたのです。
「お前、お前は、姫様のかわいがっていた、ああ、あの子だな。姫様はご無事か。姫様はいずこにおられる。」
 その足軽の声を確かめたかと思うと、子犬はまた燃えさかる城の中へと走っていきました。足軽は傷ついた体に鞭打って、懸命に犬の後を追いかけました。何度か火の手に行く手を阻まれそうになりながらもなんとかくぐり抜けて、とうとう姫様のいらっしゃる奥の部屋へとたどり着いたのでございます。
 足軽は倒れている姫様を抱き上げて、
「姫様、姫様。目を開けてください。声をおかけください。」
必死に叫びました。すると、姫様はうっすらと目を開け、その者を確かめると、今度は大きく目を見開いて、
「あなたは、あなたは。ご無事でしたか。生きておいででしたか。嬉しい。本当に嬉しい。まさか、私のためにここまで、こんなにも傷つきながらもここまで。」
そう言うと、涸れ果てたはずの涙があふれ出しました。
「姫様。お助けいたします。今しばらくの我慢でございます。私を信じてください。」
 足軽は姫様を抱きかかえて、その部屋を後にしました。そして、また子犬の導くままに走り出しました。傷ついた体は限界のはず、それでもさらに鞭打って、それこそ最期の勇、火の粉を振り払い、焼け落ちる天井板をかいくぐり、ただただ走り続けました。お二人を導く子犬も、動物の勘、いえ、必ずや生き延びようとする者の本能というものでしょうか、するりするりと危ないところをかいくぐりながら走り続けていきました。
 そして、とうとう火の手のない城外へと出ることができたのでございます。幸いそこには南の兵の影もありません。足軽はがくりと膝を折って、姫様を抱えたまま座り込んでしまいました。
「ありがとう。本当にありがとう。何とお礼を言っていいやら。もうここまでくれば大丈夫でしょう。見ればあなたもかなりの深手を負っておられるよう。ここより先は私も立って歩きます。」
 姫様は足軽の身を案じてそうおっしゃいました。しかし、足軽は、
「いや。敵兵どもはすぐ近くに迫っているはずでございます。まだまだこの程度で姫様の御身を守ったなどとは言えませぬ。私は国を守れなかった、民を守れなかった、子どもたちを守れなかった。そして、姫様、あなたをここまで苦しめてしまいました。もう、もう二度と苦しい思いはさせませぬ。この先いつまでもどこまでも、その御身を守ります。神仏に誓って、姫様を守り抜いてみせましょう。」
 そう言って、今一度立ち上がり、歩き始めました。あの子犬もお二人に寄り添って歩き始めました。
 お二人は真っ赤に燃えさかる城を背にして、北へと進みます。北の空に一段と明るい星を目指すように、ゆっくりと、そして確かに。お二人と子犬の姿は、やがて夜の闇に消えていきました。
 それからのお二人がどうなったのかを知る者は、東の国がなくなった今となってはだれ一人ございません。ただ後に巷に流れた噂では、子犬と二人の人影は、山を一つ二つ三つと越えていったとか。それからきっと幸せに暮らしたであろうとか。戦火をくぐり抜けたお二人には、ぜひそうであってほしいと、皆が願っていたと言うことでございます。  

              了


なお、実は「其の八」までできあがっています。

それについては、ここでは掲載いたしません。

ご了承ください。

読んでいただいた方それぞれでご想像ください。



















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