むかしばなし 其の四

其の四

 それから何日も泣き通した姫様でしたが、そのうち涙も涸れ果てたのか、泣くことはなくなりました。ただ、姫様のお顔からは優しい微笑みは消えてしまわれました。そして、ご自分のお部屋の中に閉じこもってしまわれたのです。
 母上様はその姫様のご様子にひどく心を痛め、殿様に手まりを返してあげられまいか、と、何度もお願いしたのですが、その願いは聞き入れられません。もちろん、母上様には、姫様の悲しみの訳が手まりだけではないことは分かっておりました。ただ、せめて手まりくらいは、手まりをついてあの明るい歌声が少しでも戻ってくれたなら、と、そうお考えになったのです。しかし、その願いを聞き入れられない今、どうにかして姫様の心の寂しさを紛らわせてあげられないものかと、深く思案しておりました。
 そんなある日、姫様のお部屋に母上様がいらっしゃいました。悲しみに心をとらわれた姫様のお顔は、しばらく外には出ていないためか、いくぶん血色も悪く、元気のないご様子でした。そんな姫様のご様子に、母上様は胸が締め付けられる思いでございましたが、それでも気丈に笑みを作り、姫様にお声をおかけになりました。
「姫。いつまで嘆いているのですか。あなたらしくありませんよ。」
「母上様。手まりは、手まりは戻りませぬか。あれは、母上からいただいた大切な大切な手まりでございます。あれがなければ、私、母上様に申し訳がなく…。」
 か細い声で答えた姫様を見て、母上様は姫様の頭を撫でてさしあげました。
「私に申し訳ないだけではなく、大切な思い出も奪われた気持ちなのでしょうね。かわいそうに。寂しいでしょう。つらいでしょう。」
 その母上様のお言葉に、涸れたはずの涙が姫様の頬を伝いました。
「せめて、その寂しさを少しでも埋めてあげられるなら、いかがでしょう、この子の面倒を見てはくれませぬか。」
 母上様はその懐からなにやら小さなものを取り出しました。その小さなものは、あどけなくぎこちなく動き、かわいらしい声でくうんくうんと泣いております。それは、子犬でございました。
「母上様。この子は?」
「ずいぶん以前のこと、あなたは子犬をほしがっていたではありませぬか。あの時は殿様が反対されて叶いませなんだが。今は、殿様も姫のそんな姿を心苦しく思われて、ならば子犬でよければ、と、このたびばかりはお許ししてくださったのですよ。さあ、この子も母犬と別れて寂しい思いをしています。抱いて差し上げなさい。」
 姫様はためらいがちに母上様から子犬を受け取り、そっとその胸の中に抱いてあげました。子犬は甘えるように顔を埋め、またかわいらしい声をあげて泣いています。
「かわいい。お前はかわいい子犬ですね。」
 そう言うと、姫様のお顔に、しばらく見ることのできなかった笑みがこぼれました。その笑みを見て、母上様も少しホッとされたようでございます。
「この子は女の子。かわいい名前をつけておあげなさい。」
 母上様からそう言われた時、その子犬の足の裏が桜色をしていることを見つけました。桜、あの文武との思い出の花。そこで、姫様は迷わず、
「さくや…。咲耶と名付けます。」
とお答えになりました。
 母上様はすぐに気がつきました。咲耶とは、木花咲耶姫のことであり、桜と縁の深い神様であることを、そして、その桜が姫様にとって思い出深き花であることを。しかし、母上様はそれをとがめはしませんでした。むしろ、
「素敵な名前ですこと。きっとよい子に育つことでしょう。」
そう言って、子犬の頭を優しくなでてあげたのです。
 その日から、姫様は子犬の咲耶のお世話を一生懸命にしてあげました。その姫様の気持ちに報いるように、咲耶も姫様にたいそうなついて、姫様の行くところにはどこでも黙ってついていくほどでございました。姫様の言うことは何でも聞き、まだまだ子犬ながら、忠実で誠実な犬でした。
 そんな咲耶の様子に、姫様のお顔には、次第に以前のような優しい微笑みが見られるようになりました。それまでずいぶんと外には出ることのなかった姫も、咲耶のお散歩で外を歩かれるようになり、手まりで遊んだ南の門まで出向いては、城下の子どもたちと一緒に遊ぶようにもなりました。
 ただ、子どもたちには、お城でどんなことがあり、なぜ横に文武がいないのか、なぜ以前ほど姫様のお気持ちがどこか優れないのかなど、知るはずもありません。姫様は、文武が北の門の番に回されたことは知らされてはおりませんでしたし、また、北の門は日当たりの悪い、うす暗いところでございましたから、子どもたちも近づくことはほとんどなく、だれ一人文武がどうなったかは知らなかったのです。そのため、子どもたちは、その無邪気さ故に、時折残酷なことを言うものでございます。
「お姫様。前のようには手まりはしないの。」
「お姫様。前のように手まりで歌っておくれ。」
「お姫様。文武の兄ちゃんはどうしちゃったの。」
 そんな時、必ず姫様は寂しいお顔になり、うつむいてしまうのです。姫様がそんな表情をすれば、咲耶は姫様の横にぴったりと寄り添い、その寂しさを紛らわせようとするのでございます。
 それでも、姫様は、子どもたちと咲耶といる時間が楽しくて、毎日のように南の門の辺りで遊んでおりました。しばらくは 文武のことも忘れ、次第に以前のような明るい姫様に戻った様子でございました。
 ところが、ある時、
「お姫様。あたい、文武を見つけたよ。北の門、北の門にいるところを、あたい、見たんだ。」
子どもたちの中の、ある女の子がそう言ったのでございます。
 それを聞いた時、姫はいても立ってもいられなくなりました。ただ、このままではお伴のご家来衆がついてきてしまいます。簡単には北の門へは近づけません。どうにかなるまいか、思案に暮れたあげく、その次の日のこと。
 姫様は、初めてお城の北の御庭に咲耶を連れてお散歩に出向かれました。お伴のご家来衆は、北の門近くのお庭に近づくことにいささかの不安はあったのでございますが、姫様が、お庭にしか行きませぬゆえ、と、強くおっしゃるものですから、渋々久間に付き従っておりました。
 南と違って、どこか寂しい北のお庭。それでも、いくらかのお花も咲いておりました。時季は紫陽花の花の頃。北のお庭にも、見事にお花を咲かせておりました。
 さて、お城の北のお庭と北の門とは目と鼻の先。とは言え、姫様は決して北の門へは行けません。そこで、姫様は咲耶に向かって、
「咲耶。あなたのように賢い子なら、私の気持ちは分かっておりますね。さあ、北の門に行きなさい。」
そう言って、咲耶を放したのでございます。賢い咲耶は、まっすぐにお庭を抜けて、お庭の先の北の門の外へと向かって行きました。ご家来衆は慌てて咲耶を捕まえようとしたのですが、さすがにすばしこい犬のこと、捕まえることはできません。
 でも、どうやら門の向こうで咲耶を捕まえた者がいたようです。北のお庭の外れから見ただけでは、その者がだれなのかは、ほんの人影だけでしか見えません。でも、咲耶の頭を優しく撫でて、その咲耶も初めての者であろうその人影にたいそうなついている様子。
 姫様は、心の中で、あのように子犬にも優しい方は間違いなく文武、と、確信したのでございます。
 そして、それは確かに文武でございました。突然、城中から現れた子犬に、北の門の番をしていた足軽はみな驚いていた中、文武だけは優しく子犬を抱き上げ、頭を撫で、にこやかに相手をしてあげていたのです。
「よしよし、いい子だ。お前、どこから来たのだ。」
 咲耶の頭を撫で回している時、ふと首に何やら巻き付けてあることに気づきました。咲耶の首には、紙が、いえ、姫様からの文が巻き付けてあったのでございます。姫様からのものとは知らず、その文を咲耶の首から取り、早速開いて読んでみますと、
“紫陽花の 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ”
と、書かれておりました。お花を題に詠まれた万葉のこの歌、まさしく姫様からのものであると、文武には分かりました。そして、そっと、北の門から城中を覗いてみれば、確かにお庭の向こうの外れに、輝くかのような姫様の姿。文武は今すぐにでも飛び出していきたい気持ちになりました。しかし、そこにはお伴のご家来衆の姿も見えます。うかつに飛び出せば、また姫様にご迷惑がかかるであろう、はやる気持ちをぐっと抑えて、もう一度その文に書かれたお歌に目を落としました。
 そのお歌は、
“紫陽花の花が八重に咲くように、いつまでもお元気でいらしてください。そして私は紫陽花の花を眺めては貴方をお慕いし続けることでしょう。”
というものでした。そのお歌に込められた姫様のお気持ちに、文武は心打たれました。されど、ままならぬ今の我が身。姫様の御前に姿を現すことはできません。
 文武は、そっと懐中より筆を出し、そのお歌が書かれた文に慌てて何事か書いて、咲耶の首に巻き、
「さあ、ご主人のもとにお帰り。」
そう優しく言って、咲耶を放してあげました。賢い子犬の咲耶は、今度はまっすぐに姫様のもとに走り出していきました。
 帰ってきた咲耶を優しく抱き上げた姫様は、そのまま首に巻いてあった文を見つけました。文武は読んでいないのであろうか、いや、結び目が私のものとは違う、そう気がついて、周りのお伴のご家来衆に気づかれぬよう、文を懐にしまわれました。
 名残惜しいお気持ちのまま、姫様は北のお庭を去りました。お伴のご家来衆は、文武と接触がなかったことに胸を撫で下ろしておりました。
 お部屋に戻った姫様は、すぐに懐中より先の文を取り出して読まれました。そこには、ご自分が書かれたお歌の横に、こう書かれておりました。
“人目多み 逢はなくのみぞ 心さへ 妹を忘れて 我が思はなくに”
 このお歌は
“今は、人目が多いから逢わないだけでございます。私の心は、あなたのことを忘れてしまい、私があなたを思わなくなる、そんなことは決してありません。いつまでもあなたをお慕いしております。”
というもの。
 これを詠んで、姫様は涙を流されました。あまりの喜びの涙。されど、報われることのないことも知る涙。喜びと悲しみが混じり合った涙でございました。
 その翌日から、咲耶を介しての姫様と文武のやりとりが始まりました。決して近づくことのないお二人でしたが、咲耶の首に巻き付けた文が、お二人の心のよりどころとなりました。ご家来衆も、北のお庭に行く度に、子犬の咲耶をお放しになることを不審に思いはしましたが、見た目には何事もないために、それはしばらく続いたのでございます。
 寄り添うこともできず、見つめ合うこともできないお二人ではございましたが、咲耶がつなぐ心と心、ただそれだけでお二人の心は満たされ、潤され、あたたかな気持ちを幸せそうに味わっておられました。
 でも、それもつかの間。北の門にいる別の足軽が、文武が何やら書いては犬の首に巻き付けているとの密告が、ご家来衆に伝わったのでございます。
 ご家来衆から殿様のお耳に入るのもあっという間。姫様は、殿様の御前に呼ばれました。
 それでも姫様は一切語らず、頑なに口を閉ざしておいででした。ならば、姫様の部屋に文が残っているであろう、と、殿様は強引に姫様の部屋を調べました。しかし、文など何一つ出てはきませんでした。
 実は、母上様が姫様のお部屋から、そっと文を持ち出して、殿様に見つからぬように隠してくださっていたのです。母上様の優しい心遣いに、姫様も文武も巣くわれたのでございます。
 されど、かような噂が流れた今となっては、殿様もこのまま事態を捨て置く訳にはいきません。万が一、文という証拠があったなら、文武の身に何が起こっていたことでしょう。幸い、母上様の機転でそれは免れはしましたが、いよいよ文武は城外へ追放されてしまったのでございます。
 文武は、その沙汰を黙って受け入れ、とうとう城下の町へと去っていきました。そして、姫様は、優しい優しい母上様の膝の上で一日中、そしてその翌日も、そのまた翌日も、泣き通したのでございます。  













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