むかしばなし 其の三

其の三 

 そんなことがあった次の日。姫様は昨日と同じように菜の花畑で手まりを楽しんでおりました。昨日と同じようにかわいい声でお歌を歌い、昨日と同じように子どもたちが集まり、そして、昨日と同じように近くの水路に手まりを落としてしまわれました。手まりは昨日と同じように城の堀まで流れ着いて、また昨日と同じようにかの若者が不格好に泳いで手まりを拾い上げたのでございます。昨日と同じようにうつむいたままの文武に、昨日と同じように姫様が
「ありがとう。」
と声をおかけになり、昨日と同じように菜の花を文武に手渡しました。
 まるで、昨日と同じ出来事。写した絵のようにそっくりそのままでございました。
 そして、それは次の日も、その次の日も、お天気のよい日には必ず繰り返されたのでございます。変わったことと言えば、姫様が文武に手渡すお花。菜の花の時季が過ぎれば菫を手渡されたり、蒲公英を手渡されたり。その手渡されたお花を、文武はそっと優しくその手に包み込んでおりました。
 最初の頃は、姫様のほんの粗相だろうと、お伴のご家来衆は思っておりましたが、それが当たり前のように毎日続くとなると、さすがに不審に思われました。ただ、文武はいつも固くなってうつむいたままでございますし、何一つ言葉を発しません。いつも姫様の「ありがとう」のお言葉だけでございますから、文武をとがめる訳にも、まして姫様をとがめる訳にもいかず、黙って見ているほかはありませんでした。
 そんな日が続いたある日のことでございます。やはり、姫様が手まりを水路に落としては、堀で文武が拾うという、いつものことがありました。そして、最後に姫様が、桜の花を文武に手渡したのでございます。姫様は、「ありがとう」と声をおかけになり、そのまま城中に入ろうという時、
「は、春霞…。」
と、文武が初めて言葉を発したのでございます。
 姫様は慌てて文武のもとに引き返しました。お伴のご家来衆も追いつけないほどの勢いで、息を切らして、そして花が咲いたような笑みを浮かべて、文武の前にお立ちになり、
「今、何と。」
文武の発した言葉の続きを急かされました。
「は、春霞 たなびく山の 桜花 見れどもあかぬ 君にもあるかな」
 それは何かの歌でございました。姫様も、何かの歌とは分かったものの、文武が消え入るような小さな声で言ったことと、まさか歌を詠むとは思ってもみなかったためでしょう、何のことかが分からず、もう一度、と聞き返したのでございますが、文武はそのまま黙ったまま、いつものようにうつむいてかたくなっておりました。
 文武のそのあまりに頑なな様子には、さすがに姫様もあきらめましたが、文武の言葉を聞くことができたことに、思わず笑みがこぼれておりました。
 お伴のご家来衆には、何の歌なのかはさっぱり分からずじまいでございました。ただ、いつもと違った文武の様子には、どこか懐疑の念を抱いたのは確かでございます。
 その次の日。また姫様が手まりを水路に落としては、堀で文武が拾うという、いつものことがありました。そして、昨日と同じように姫様が桜の花を手渡した時でございます。今度は、姫様から
「あしひきの 山桜花 一目だに 君とし見てば 我れ恋ひめやも」
とおしゃったのでございます。その歌に、文武は初めてその顔を上げました。そして、
「それは、万葉の歌でございますね。」
と目を輝かせて答えたのでございます。
「ええ。そして、文武、そなたが詠んだのは、古今和歌集でしたね。」
「はい。さすがは、姫君様、よくご存じで。」
 文武は嬉しそうに目を細め、姫様の問いかけに答えておりました。
「ところで、文武。あの歌の意味すること、あれは私のことですか。」
 すると、文武は、また慌ててうつむいてしまいました。そう、あの「春霞」の歌は、
“春霞がたなびく山の桜の花のように、いくら見ても飽きないあなた、それほどに恋しいあなたです”
という意味だったのです。姫様の可憐でお美しいお姿に、文武が紀友則の歌から詠んだものでした。どうせ分かるまいとは思いつつ、心のどこかでは分かってもらえたなら、という思いもあったのやもしれません。その真意は、今では知るよしもございませんが、先のような歌の意味を姫様に知られたかと思うと、文武はただただ恥ずかしいばかりで、顔を赤らめ、姫様のお顔を見ることができなかったのです。
 そんな文武の気持ちを察したのでしょう、姫様は、
「そうであるなら、私も嬉しく存じますよ。ですから、私のあの歌の思いも、文武ならば分かるのではありませぬか。」
 その姫様の言葉に、文武ははっと顔を上げました。そして、姫様のお顔を真正面に見て、ようやく満面の笑みを見せたのでした。
 姫様がお選びになった万葉の歌の真意。それは、
“山に咲く桜の花をほんの一目だけでも貴方と一緒に見ることが出来るのなら、私はこんなにも貴方を恋いしく思うことがあったでしょうか”
というものでございます。
 ここに二人の思いは、通じ合ったのでございます。しかし、方や城の姫君様、方や身分の賤しい足軽の身。この先、二人の思いが報われる望みなど微塵もないことは、どこのどなたにうかがっても明白なことでございます。
 この次の日より、姫様と文武の間に少しずつお話をする時間が増え、お花のことや歌のこと、いろいろな話に弾んだのでございます。さすがにご家来衆の目もあって、二人だけでお話とはいきません。幸い手まり遊びの後のこと、そこには必ず城下の子どもたちも交えて、みんなでそれはそれは楽しそうにお話をしていたのでございます。姫様と文武のたいそう嬉しそうな明るい笑顔に、周りの子どもたちの無邪気な笑顔は、見る者皆、幸せであたたかい気持ちになったほどでございます。
 ただ、ご家来衆だけは違いました。身分の賤しい足軽風情が姫様と親しげに話をするなどもってのほか。この二人の様子は、ほどなくして姫様のお父上の殿様のお耳に入ったのでございます。もちろん、殿様のお怒りは相当のもの、文武を処してしまおうかとも思われたのですが、ただ表向きは城下の子どもたちとともにお話をしていただけのこと、まして、かつての大殿様の下で数多の手柄を立てたあの文吉の息子ともなると、少々難しい話。そこで、文武は南の門番の仕事を解かれ、北の門の周りの番に回されてしまいました。また、姫様は、もういいかげん子どもではあるまい、と、ついに手まりを取り上げられてしまったのでございます。
 殿様からその沙汰が下された日、文武は黙ってそれに従い、暗くあまり日の当たらない北の門へと移りました。そして、姫様は、優しい優しい母上様の膝の上で一日中、そしてその翌日も、そのまた翌日も、泣き通したのでございます。














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