むかしばなし 其の二

其の二

 その日は、春うららかな日でございました。城の周りには菜の花が咲き乱れ、この暖かな日を待ちわびた蝶が、菜の花畑をひらりひらりと舞い飛んでおりました。その菜の花畑の近くで、姫様は城を出て、母上様からいただいた手まりで遊んでいたのでございます。
 めったに城の外へは出ることはない姫様でございますが、その日は本当によいお天気で、菜の花があまりにも鮮やかな色を放って咲き誇っていましたので、姫様は警護のご家来衆に少しばかりわがままをおっしゃって、城外に出たのでございます。もとより平穏なお国であるうえに、城の者と城下の町民や農民との間の垣根は低く、むしろ深い信頼が築かれておりましたので、ご家来衆も多少は気を揉んではいたものの、そこはいつものようなこと、城外の菜の花畑で遊ぶ姫様を、つかず離れず見守っておりました。
「てんてんてんまり、てんてまり…」
 髪に菜の花を挿した姫様のかわいらしい歌声が菜の花畑に広がって、小鳥たちも寄ってくるようでした。
「てんてんてんまり、てんてまり…」
 その歌声に、ご家来衆も、近くで仕事をしていた城下の者たちも、うっとりと聞き惚れておりました。
そのうちに、小さな子どもたちが姫様の周りに集まって、ある子どもたちは姫様の手まりで遊ぶ様子をにこにこと眺め、ある子どもたちは姫様の調子に合わせて、自分の手まりをついて遊びはじめました。それは誠にほほえましい光景でございました。
 姫様も本当に楽しそうにほほえんで、あまりの楽しさにだんだん手まりをつく調子も上がってきたご様子。そのうち、ついうっかりと手を滑らせて、手まりは姫様の手を離れ、ころりころりと転がってしまいました。転がった手まりは、近くの小さな水路に落ちて、水路の速い水の流れに乗って、そのまま城の堀まで流れていってしまいました。姫様もあわてて手まりを追いかけてはみたものの、さすがに流れの速さに追いつくことはできません。城の堀にぷかりぷかりと浮かぶ手まりを、さきほどまでのほほえみはどこへやら、うらめしそうに見つめておりました。一緒に手まりを追いかけたご家来衆も、どうしたものやと思案している、そんな時、
“ザブン”
 誰かが水に飛び込む音がしました。堀の周りで警護をしていた足軽の若者でございます。その若者は、春とは言え、まだまだ冷たい堀の水の中を、なんとも不格好なようすで泳いで、どうにか手まりをつかまえました。それから、堀から上がって
「どこの童の手まりじゃ。」
と、がたがた震えながら、それでいてにっこりほほえみながら、大きな声をあげました。その若者には、菜の花畑の水路から流れてきた手まりが、よもや姫様のものとは思いもよりませんでした。堀の周りでは、よく小さな子どもたちがしばしば遊んでいることもあって、きっとそんな子どもたちが落としたものと思っていたのです。そこへ
「童ではありませぬ。それは私のてまりです。」
と、姫様が声をかけたのでございす。
 その声の主を見て、若者はひどく驚き、体は冷たい堀の水のせいで冷え切っているはずでしょうに、それはそれは真っ赤な顔になってしまいました。若者は、あまりの恥ずかしさにうつむいたままになり、姫様の顔も見ることができません。
 姫様は、若者のもとに近づいて、手まりを受け取りました。
「ありがとう。さぞや堀の水も冷たかったでしょうに。」
 姫様の言葉に、若者は返事ができませんでした。ずっとうつむいたままでした。
「そなた、名前は何と…。」
 姫様の問いかけに、若者はやはり答えることができませんでした。姫様に名乗るほどの身分でもなく、ただただ恐れ多いばかりです。
「これ。名乗らぬか。姫様が聞いておるではないか。」
 ご家来衆の一人が、少々声を荒げて、その若者に問い直しましたが、それでもその若者は、うつむいたまま何も答えません。すると、姫の横にいた女の子が
「その人、あやたけっていうんだよ。」
と無邪気な声で言ったのです。
「いつも、あたいたちと遊んでくれる、優しい兄ちゃんだよ。」
「あやたけ兄ちゃん、今日もあとで遊んでおくれよ。」
 女の子に続いて、周りにいた子どもたちからも声が上がりました。
「あやたけ…。その方、文吉殿の長子の文武であったか。」
 姫様の伴の御家来が思い出したようにおっしゃいました。
「姫様。その者は、あの足軽頭の文吉殿の息子でございます。文吉殿は、先代の大殿様の戦では数多の功績を残されて、本来なら名字帯刀も許されるほどのお方、殿の側近となっておられても不思議ではないのですが、頑なに出世を拒みましてな、その者、息子の文武が大手柄を立てた暁こそ、息子に名字帯刀を、と言っておったのです。」
「しかし…。」
 続けて、別の御家来が言葉を続けました。
「先代の大殿様のご威光のおかげで、さして大きな戦もなく、功績を挙げる機会もない上に、この者、まったく武道には関心がなく、書物ばかり読みふけって、あとは城下の童と遊んでばかり。父上の文吉様に似ず、腑抜けた男でございます。せっかく、文吉殿がご自分の名の文に武士の武をつけて文武と名付け、文武両道に秀でた男に育て、と願ったというのに…。」
 その話を黙って聞いていた姫様は、まだうつむいたままの文武に向かって、
「それは、腑抜けではありません。こんなに子どもたちに慕われて、優しい方なのです。」 そうおっしゃって、髪に挿していた菜の花を、文武に手渡したのでございます。
「ありがとう。文武。母上様からいただいた大切な手まりを拾ってくださって。」
 姫様はそうおっしゃると、お伴のご家来衆と一緒に、城中へお戻りになりました。
 一方、文武は、ずっとうつむいたまま、固まったようにかたくなっておりました。そんな文武の様子を子どもたちはからかっていましたが、文武の耳にも目にも、そんなからかう声も姿も入らないようでございました。ただ、姫様から手渡された菜の花は、そっと優しく包み込むように手にしておりました。










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